④ 古座川町平井を編む (後編)

前方を行く千井さんの軽トラが、研究林の入り口ゲートを抜けて川沿いの空き地でとまった。
車をおりると、ザーザーと激しい水音が響いている。

無断で立ち入れないエリアなので周囲に人はいないが、時にカモシカなどの野生動物には出会うとか。

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林道脇には「バンダイ」と呼ばれる木材解体場が、川に向かって舞台のようにせり出している。
「これ造るんもコストやから、なるべく造らんでもええ場所探すんですけど、木材の解体に適した平地がない時は造ります。そして作業が終わったら、ばらいて撤去するんです」

初めて見たバンダイとやらに見入っていると「山の仕事は人目につかんとこばっかりで作業するから、あんまりみんな知らんと思いますわ」と千井さんが笑った。爽やかな笑顔だったので、「現場で見ると、なんか、さらにかっこいいですね」と伝える。

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千井芳孝(ちい・よしたか)さん。
大阪府堺市出身の46歳。14年前の2002年、和歌山県が実施した「緑の雇用事業」に応募して古座川町に移住。前職は林業とは無縁のサラリーマン。移住当初は森林組合で働き、11年後に北海道大学和歌山研究林に転職。古座川沿いの集落にある定住促進住宅で妻と暮らしている。

 

「台風のあとやから、思ったより川の水かさが増えてますねぇ。向こうに渡って作業しようと思ったんやけど」

足場のない急斜面を軽々と登っていく千井さんと、それを追う写真家の照井さん。伐採するのは樹齢50年から60年ぐらいというスギの木だ。

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チェーンソーの爆音が川音をかき消した。続いてクサビを打ち込んでいく音。「もうちょっとで倒れますね」と注意を促す千井さんに、カメラを抱えた照井さんが「はい」と答える。

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スギの木が、斜面に倒れこんだ。

 *音のみです

 

千井さん、木を伐る時ってなにか思います?

「思いますよ。”ぼくみたいなもんやけど、伐らしてもらいます。ぼくみたいなもんやけど、伐らしてもらいますよ”って、心の中でつぶやいたりします。近くに同僚もいるから、手を合わせたり頭下げたりはしませんけどね」

ちょっと照れくさそうに、でもキリッとした表情で千井さんが話してくれた。「そうですか」と私は答え「ぼくみたいなもんやけど」と記憶に刻む。大事なことを聞いたような気がしたので。

危険なこともありました?

「ありましたね。伐採後の丸太は3人ぐらいのチームで、太いワイヤーをゆるめたり引っ張ったりしながら山の下の方へ下ろしてくるんです。トランシーバーで指示しながら連携作業をするんですが、相手に正確に伝わってないことがあった。急いで逃げて指示を出したけど、もしあの場所に立っていたら、まともにワイヤーロープに当たって上空に跳ねあげられてたな、とひやっとしたことがあります」

山仕事には危険が伴う。全国の林業労働者のうち年間およそ40人に1人は休業4日以上の事故に遭っているとも聞くし、生命にかかわる事故もある。千井さんもチェーンソーで足を突き刺し、2ヶ月間の休職を余儀なくされた苦い体験があるそうだ。

「その時は必死で勉強しました。自分も二度と怪我をしたくないし、誰にも怪我をさせたくないですから。作業方法や装備をインターネットで調べたり、勉強会に参加したりね。おかげで、知らなかった技術を色々と学ぶことができました。その経験が大きいです」

 

あ、千井さん、もうお昼なんでお弁当食べてください。こんな大自然の中で食べたらおいしいでしょうね。 毎日の事やから、そうでもないですか?

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「いやぁ、やっぱりうまいですわ」

という、ほのぼのしたランチタイムを経ていよいよトロッコだ。
研究林内にはトロッコ(乗用モノレール)が4路線あり、総延長は約3.2キロ。最大で40度までの傾斜を登ることができる。
私たちが乗せてもらった路線は「シモ谷軌道」で、延長は789メートル。下の写真はトロッコの乗り場で、芦谷さんと千井さんの会話の中では、ふつうに「駅」と呼ばれていた。

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あまり嬉しそうにするのも年齢的にあれなんで、できるだけ平静を装って乗り込む。
「行きますよ」と運転手の千井さんが先頭で声をかけてくれた。
ガタンと動き出したトロッコが、急峻な源流渓谷を登って行く。

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途中、「スギ人工見本林 1921年植栽」や「大森山天然生保存林」などと記された案内板が所々に見えた。森林動態のメカニズムを明らかにするため、データの収集を続けている長期観察林だ。

生命力あふれる木々や苔、岩の存在感に圧倒される。・・・美しすぎる。
川の水なんて、もう、あるのかないのかわからないほどに透明で、なにこれ異次元?

「ぼくね、昔の熊野古道ってこんな風景だったんかなと思うことあります」

千井さんがあたりを見渡してしみじみと言った。

紀伊山地の、濃密な森の中。

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上の写真で千井さんが手に持っているのは野ネズミ(ヒメネズミとアカネズミ)の生け捕りワナで、生息状況などを観察するために設置しているそうだ。研究林の内外にはヤマネやアズマモグラ、オオダイガハラサンショウウオなど多様な生き物が生息し、生物地理学的に特異な場所らしい。

再びトロッコで「駅」に戻る。
最後に案内してもらったのが研究林の入り口近くに祀られている”山の神さん”。
この地域では毎年11月7日に山の神祭りが執り行われ、職員さんたちが供物を供えて祝詞をあげるとか。ちなみに11月7日は山の神さんが木を数える日なので、その日に山仕事をしていると木として数えられて木の姿にされると伝わっている。

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帰路、古座川を下っていく途中に、日本のエアーズロックと言われる一枚岩を撮影。
高さ約150メートル、幅約800メートルの巨大な岩盤が清流に沿って屏風のようにそそり立つ。
自然のスケールに比べたら、ヒトなんてちっぽけであることよ。
千井さんが言った「ぼくみたいなもんやけど」を思い出し、「わたしみたいなもんやけど」と小声でぼそっと言い換える。
この一枚岩の上にもカモシカが現れることがあるそうだ。想像するだけで神々しい。

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【北海道大学和歌山研究林】
和歌山県東牟婁郡古座川町平井559番地
ウェブサイトこちらです。 (入山には許可が必要です)

山の神については熊野古道・中辺路にこんな伝説もありますし、森本邦恵さんも語ってくれたのでよかったら読んでみてください。
写真集制作に関する連載記事はこちら ① すさみ町周参を編む
                  ② 新宮市神倉〜三重県熊野市を編む
                  
③ 古座川町平井を編む(前編)

(この記事に使用した写真は北浦が撮影したものです)

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投稿日:2016年10月21日
カテゴリー:みちとおと取材記熊野を編む
文:北浦雅子