清姫と安珍

清姫

千年あまり昔のこと。富田川のほとりに、真砂(まなご)っていう小さな里があった。まぁ今でもあるけどな。里をおさめていたのは真砂家の当主で、名前は清重。ある時、清重は黒い大蛇に呑みこまれそうになってる白い蛇を見つけた。ほいて可哀想に思って助けたんやな。

数日たった夕方に、白装束の女遍路がどこからともなくやってきた。真砂家の庭先に立つと「泊めてくれ」と頼んだんやて。清重はもちろん泊めてやったんやが、そのうちに二人は好きおうて一緒に暮らすようになった。やがて女は赤子を産んだんやが、なんでかふっと姿を消した。赤子はかえらし女の子やった。希代と名付けられて、のちに清姫と呼ばれるようになった。

この真砂の家にね、安珍というお坊さんが二年にいっぺん、熊野詣での途中に立ち寄ってた。奥州白河(福島県)の人でね。清姫は、やさしくて男前の安珍が好きやった。
「大きゅうなったら奥州へ連れ帰って、妻にしよう」って、安珍もうっかり言うてしもた。清姫はその言葉を信じて、再会の日を指折り数えて待ち続けてたんやな。

数年たって、清姫は十三歳の娘に成長した。「今年こそ、安珍さまと一緒に奥州へ」と思うておったところに、安珍がやってきた。

夜がとっぷり暮れた頃にな、清姫は安珍の寝所へ忍び込んだ。
安珍もそりゃ、魔がさすわ。

ある晩、清姫と安珍は富田川の淵で水を浴びた。清姫の体はお月さんの光を浴びて、ほの白く川面に浮かんだ。腰まで伸びた黒髪が、流れに乗って安珍の腕に絡んだ。
その時ふっと、安珍の心に後悔がよぎったんやな。

屋敷に戻ると、清姫は行灯のあかりで髪をとかし始めた。安珍には、鏡にうつる清姫の髪が、蛇のように見えたそうや。
明くる朝、日が昇るのを待ちかねて、安珍はそそくさと旅立った。「熊野詣でをすませたら、帰りにきっと立ち寄ろう」と言い残してな。

そやけど約束の日が過ぎても、安珍は戻って来ない。清姫は必死の思いで、熊野詣での旅人をつかまえて聞いた。ほいたら「若いお坊さまなら、先に行ったはずじゃ」って教えてくれる人があった。清姫はそら、怒るわな。あとを追って、一目散に走り出した。
山をどんどん越えて、「おのれ安珍め」と言いながら。

海の見える峠に、高くそびえる杉の巨木がある。清姫がその木に登ると、田辺のほうに逃げてゆく安珍の姿が見えた。怒りに狂った清姫は、めきめきと音を立てながら杉の枝をねじり上げた。するとその体にはウロコが現れ、恐ろしい大蛇へと変貌していった。

一方、安珍は日高川の渡し場にさしかかった。「後から女が来ても決して乗せるな」と言うて船頭に金を握らせたんや。こすい奴や。ほいて川を渡って道成寺に逃げ込むと、僧侶らにわけを話して釣り鐘の中に隠れさしてもろたんやと。

しばらくして清姫も日高川にたどり着いた。その頃にはもう、体はすっかり大蛇になってる。清姫も川面にうつった自分の姿を見て、あまりのことにびっくりした。大蛇やからな。ほいて覚悟を決めたように天に向かってそり上がったかと思うと、真っ赤な涙を流しながら日高川に飛び込んだ。

川をごぉーっと泳ぎ渡って、飛ぶように石段を這いのぼってきた大蛇は一直線に鐘楼へ向かって行った。釣り鐘にぐるぐる巻きつくと、不気味なうめき声をあげながら火を吹いた。

安珍は焼けこげて、灰になってしもたそうです。大蛇にはもう、頭をあげる力も残ってないわな。のろのろと山門をくぐって出ていくと、日高川に身をなげて沈んでいったと。

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イラスト:ひろのみずえ
再話:北浦雅子
参考資料:『熊野中辺路 歴史と風土』平成3年 熊野中辺路刊行会 他