巨木に囲まれた参道
2013年5月10日

近露王子〜小広王子

山のみち

世界遺産の熊野古道・中辺路を歩きます。起点の滝尻王子から熊野本宮大社までは約40キロ。レコーダーを片手に、時には音を録りながらの山歩きです。千年の歴史をもつ山の道で、見える景色と聴こえる音。

箸折峠を背に、近露(ちかつゆ)の集落へ向かった。途中、果無(はてなし)山脈を眺めながら、日置川にかかる北野橋を渡る。かつて熊野詣での巡礼者は、この川で水垢離をすませてから、熊野三山を目指したそうだ。

北野橋から見た日置川

北野橋から見た日置川

しばらく歩くと左手にこんもりとした木立があり、階段を上ると近露王子跡。小さく開けた空間の奥に「近露王子之碑」と刻まれた石碑があった。別人の名になっているが、実は出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)の筆によるもの。大本教が弾圧された時に、破壊を免れるために名を彫り改めたのだとか。

王仁三郎の筆跡を残す石碑

王仁三郎の筆跡を残す石碑

近露の集落

近露の集落

熊野古道は、のどかな集落を抜けてゆく。
このあたりは旧国道とほぼ重なっているので、山道ではなく舗装された道路になる。しかも延々と登り坂。だらだらと続くアスファルトも意外と疲れる。

とがの木茶屋あたり

とがの木茶屋あたり

あやしすぎる”お迎え人形”

あやしすぎる”お迎え人形”

このコースで一番のみどころは、継桜(つぎざくら)王子だ。境内には樹齢800年以上といわれる杉と檜の巨木9本があり、一方杉と呼ばれている。枝がみな同じ方向、熊野那智大社に向いて伸びている、らしい。
実はこの巨木群、明治39年に危うく売り飛ばされるところだった。天下の悪法、神社合祀令によって、継桜王子も近露の近野神社に合祀が決まり、巨木は売却されることに。

継桜王子

継桜王子

森の外側から伐採が進められる中、真ん中の一部を間一髪で救ったのが、かの南方熊楠。現在、残っているのは、かろうじて生き残った9本で、30本ぐらいは伐られてしまったそうだ。
南方先生の御無念、いかばかりか。
熊楠ばかりではない。この当時、御神木や鎮守の森が日々消えていく中で、身を切られる思いをしたり、祟りを怖れた人々も多かったと思う。

鳥居のあたりに立つと、かすかに水の音がした。
「野中の清水」と呼ばれる山の湧き水がすぐ下にあるようなので行ってみる。
泉の脇に立てられた案内板には「熊野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここでのどをうるおした」と記されていた。旅人にとっても、集落の人々にとっても大切な山の水。

野中の清水

野中の清水

小広王子〜発心門王子はこちら

文:北浦雅子