IMG_5128s
2013年10月11日

森本邦恵さん

熊野びと

山の暮らし、森の仕事、集落の祭、民話や伝説、熊野に暮らす人々に聞きたいことはたくさんあります。
みちの途中で伺ったお話を、音声とともに伝えていきます。

夏の終り、森本さんと一緒に高原(たかはら)から古道の尾根道へ。
歩きながら聞いたのは、自然と共生してきた山の民の暮らしや森のこと。

森本 邦恵(もりもと くにえ)さん / 1945年生まれ、中辺路町在住。町内の保育所で調理の手伝いを34年間つとめて定年退職。現在は古道沿いの宿「霧の郷 たかはら」で調理スタッフとして働くかたわら、語り部(熊野古道ガイド)としても活動している。

私が生まれたのは広島なんやけどね、終戦前に生後数ヶ月でこっちに来たから中辺路育ちです。父親が福定(ふくさだ)の生まれやったから、家族で田舎に戻ってきたの。母親は大阪のまち育ちやったさけ、慣れない山の暮らしは大変やったと思います。そやから手仕事や山の料理、薬草のことなんかを教えてくれたのは父親やおじいさんやおばあさん。隣近所のおばちゃんらも「クニやん、これはこないして作るんやで。こがなふうにしたら、おいしいんやで」って色々教えてくれました。私らは土地の人に育てられたんやな。

薬草とお地蔵さん

この黄色い小さい花はカタバミソウ。山でこけて怪我したらよ、葉っぱとか根をもんで、ちょっと擦って貼ったら治るんやと。それからこれはゲンノショウコ。陰干しして煎じて飲むとお腹にいいとか婦人病にいいとか言います。彼岸花も毒あるけど、これの芋(球根)は究極の食べ物やとお父さんに習うた。飢饉で食べるもんなかった時に、この芋をすって水にさらしたら、でんぷんになったそうです。おいしくはないけど、お腹の一時しのぎになる。彼岸花の芋もやっぱり、つぶして貼ったら打ち身に効くって言うたわな。でもかぶれるで。鹿の角としいたけの軸を煎じて飲んだら熱冷ましになるし、むかでの油は中耳炎に効くと言うたし、みな民間療法で工夫して治したんやと思うんやで。

カタバミソウ

カタバミソウ

それから地蔵さんにもお願いしました。あちこちに目のお地蔵さん、腰痛のお地蔵さん、歯痛のお地蔵さんがあるんはお医者さんまで遠いしお金もかかるから。ここらのお地蔵さんは産婦人科も内科も、耳鼻科も整形もなんでもありますよ。熊野古道の胎内くぐりも元もとは安産祈願の岩で「うちの嫁さん子どもできたんやらよぉ。軽ぅに安ぅに産まれるようにちょっとお参りにいてくらよぉ」って母親らが参ったそうです。

自然採集の暮らし

「木の国の熊野の人はかし粉くて、このみこのみの山ずま居」っていう長歌がありますね。熊野というのは昔から、たいへん貧しいところだったと思う。「かし粉くて」は樫の粉、「このみ」は木の実や着の身着のままという意味を掛け合わせてある。この樫の実も貴重な食料やった。お米も麦もとれなくて、明治の初め頃まで木の実が主食だったところもあったようです。

樫の実は灰汁を抜いて、粉にすれば食べられます。滝尻王子にある木は甘樫やから、落ちたらすぐに火であぶったらおいしいですよ。とちの実はちょっと山奥へ採りにいかんなんけど、お餅にしたらおいしいの。シブを抜くのに40日かかるんやで。20日ほど谷の水にさらして、今度は灰汁の中につけ込んで2週間ほど。それからお餅につくんです。そやから昔の熊野の人は、食べることに毎日毎日を過ごしたんやと思う。木の実が不作の年は他のもので代用できるように、春にはわらびを採って、根を葛にしておいといたり、柿の皮も干して保存しておいたり。何かに代用するすべを知っていたんやと思うで。山の民はその時その時で、生きていくすべを知っていたんやね。

山の民の言い伝え

言い伝えなんかも、そら色々とあります。ヒダル神とかね。山でお腹すかして弱ってる人に襲いかかる神やねんなぁ。「お弁当食べても一口は残しとけよ、ほいて、食べなかったご飯は餓鬼に施しをしとくんやで」ってここらへんの人はよぅ言いました。昔はね、山へ入る時は弁当を持っていっても、お箸は持っていかなかった。私のおじいさんも山に箸ら持っていけへん。お箸はシダでもカヤでも樫の木でも使ったらええんやけど、ウツギの木と柿の木は使うなと言われた。なぜよって言うたら 熊野では黄泉の国へ旅立つ人の枕飯にその箸を使うから、生きてるもんはその箸でご飯食べたらあかんって。でもよう考えたら、ウツギの木の中には毒素を持つ種類がある。柿の木は、折ったらささくれがいっぱいできます。こんなんでご飯たべて、体を悪したり、口の中を怪我したらいかんっていうことやったと思うんやで。

古道沿いに実った柿

古道沿いに実った柿

それからこんなことも言われた。「使い終わった箸は、必ず折って捨てるか、きれいな水のところへ捨てよ。火の中へくべるようなことはするもんやない。火の中へくべたらお前は一生貧乏神にさらされて楽できんで」って。食べ物を運んで命をつないでくれた箸やから、使い終わってもすぐに焼くもんやない、きれいなところへ浄めよという意味やと思う。自然がすべて神さんやし、そこからいただくものを私らは箸にして使うんやから粗末にするなと。そして箸は「来た道へ捨てるな行く道へ捨てよ」と言いました。臭いをかぎつけた獣に襲われやんようにという先人の教えやね。

活かしあって共生する

この尾根はええ道でしょ。ここらへんは植林ばっかりとちごて、自然林と植林が交互になっているので多少なりとも山は守られているんです。でも熊野の山は全体的に植林で荒れてしもてる。手入れのされんような木の植え方されたらな、木も可哀想や。そやけど、国策として木ぃ植ぇ、木ぃ植ぇって言われた我われ国民も可哀想やった。もうちょっと親切に教えてくれたらよかったと思う。植えた人は、これが何十年後かに立派な木材になって役に立つと思っておったけど、植林に適さんところに無理に植えた木は育たなかった。

昔ね、大きな山持ちさん(山林主)は、山を管理する山守りさんを置いてたんです。山守りさんは、木を伐採して売った時にその何割かが賃金になる。木を売るまでは、下に生える雑木が山守りさんの権利やったから、神さんや仏さんにお供えする木を売ったり、薪にして売ったそうです。自然の恵みは何も無駄にせんかった。人間が手を入れなんだら木も育たんから、山守りさんは適度に雑木を間伐しながら山を守っていたんやね。そうすることで山守りさんの暮らしも成り立つし、村の人たちの燃料にもなるし、山のためにもなっていたんです。昔はうまい仕組みで山を守ってこれてたんやなぁ。

伐っていい木、植えていい木

山祭りですか。あれはね、今はせんけども昔は毎年12月7日にやりました。お供えのオコゼやぼた餅は男の人がすべて整えるんです。山祭りの日は、山の神さんが山の木を数えるさか、うっかり山へ入ったら人も木として数えられてしまうって言います。ほいて山祭りが終わったあとで山へ入ると、山の神さんが今年の伐る木をちゃんと教えてくれるんやと。「この木、伐ったらええで」って山の神さんが自然の中で教えてくれた。何もかも伐ってしまうんではなくて、この木を伐って、この木を残して、これは再来年に、これはまたその次にって。

斜面を覆う人工林

斜面を覆う人工林

明治の頃、熊野の天然林を伐るのに猛反対した南方熊楠さんも、自然保護のために山の民の生活を奪うのではなくて「伐っていい木、植えていい木は人間の知恵でしっかり覚えてせなんだら山は守れんで」と教えてくれたんやと思う。そやから今のように荒れた山の姿は、熊楠さんが懸念したもんではないかと思うんです。人間はあまりにもおごったらあかんのやね。自然というものを甘くみたらあかん。近年の山の荒れ方とか、自然界の荒れ方を見やったら、私らはもっと謙虚にならなあかんと思います。でもこの頃はな、間伐して下草をはやして雑木を入れて山を守るということを、みんなちょっとずつしてくれだしたんで、だんだんと山もよみがえってくれると思います。

熊野の山が命のみなもと

この先の石畳も、とてもきれいなんです。熊野古道を歩いていると、木もれ日がマイナスイオンをいっぱいくれて気持がいいですよ。私も大きな病気をしたけれど、語り部をしながら山を歩いているとびっくりするくらい健康になりました。杉林の中からは涼しい風もいただけます。熊野の神さんの「あまり風」をいただいて、山を歩かせてもろてるといつも思うてます。

私なぁ、このトシになってきたら命はよ、やっぱり神さんから預かったもんやと思うようになってきたんです。神さんが私に、もうちょっと命を預けてくれてるんやなぁと。そやから返さんなんときは絶対にくるけれども、そいまでは粗末にせんと、大事にしてええ人生を送りたいなぁと。
そう思うようになってからね、やっぱり熊野の山がますます好きになってきたんです。私の命のみなもとです。

森本邦恵さん

聞き書き :  北浦雅子           撮影 :  ひろのみずえ