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2014年5月20日

安井理夫さん

熊野びと

山の暮らし、森の仕事、集落の祭、民話や伝説、熊野に暮らす人々に聞きたいことはたくさんあります。
みちの途中で伺ったお話を、音声とともに伝えていきます。

「小栗判官」のクライマックスは、湯の峯温泉でのよみがえり。
伝説と現実がとけあうような湯の里で、小栗さんの話をたっぷり聞かせていただきました。

安井理夫(やすい ただお)さん/1935年、本宮町湯の峯(ゆのみね)に生まれる。38年間にわたって小中学校の教員を務め、本宮中学校長を最後に退職。現在は湯の峯温泉で民宿「小栗屋」を営みつつ、語り部としても活動している。小栗伝説の研究家。

熊野信仰を広めた物語

小栗判官の物語は、日本のあちこちを舞台にしながら湯の峯まで繋がっています。餓鬼阿弥(がきあみ)の姿になった小栗さんが、最後は湯の峯の湯で甦るんですね。この物語には、モデルになった人物がおったんですよ。小栗助重(おぐり すけしげ)と言って、茨城県の小栗城の城主です。『小栗実記』や『鎌倉大草紙』、『小栗略縁起』という本に、内容はちょっとずつ違うけどもよく似た話がある。その話を用いたのが一遍上人(いっぺんしょうにん・鎌倉時代中期の僧侶で時宗の開祖)です。

物語を伝播したのは、まずは一遍を中心とする時宗の聖(ひじり)たち。そして熊野比丘尼(くまのびくに・中世から近世、「絵解き」をしながら諸国を巡り歩いて熊野信仰を広めた尼僧)。それから芸能の形で伝えた説教師たちです。この三つが、小栗判官を後世に残した立役者だったと思います。

熊野信仰を広めていくために作ったんだとぼくは思うんですけどね。そしてみんな「小栗物語といえば熊野」って言うんですよ。小栗さんはある時、熊野の湯の峯に来てお風呂に入って元気になっていった。気の遠くなるような関東の果てから、当時、土車にひかれてきた。熊野ってどこにあるんだろうかと。最果ての、あの世へ行くようなぐらいやろね。そういうところへ来たっていうのは、熊野があっての話やという先生らも多いんですよ。

来世こそは、幸福に

ぼくはね、小栗判官は「人の生き死に」の物語だと思っているんです。この世を生きている人たちは、いつかは必ず来世に行くんだという物淋しさをみんな持っている。小栗さんは一度殺されて地獄へ落ちて、そしてえんま大王さんのお慈悲で「もう一度やりなおせ」とこの世に送り返される。熊野権現(熊野三山の神)と、湯の峯のお湯のおかげで蘇生をしていくわけでしょう。当時の人々にとったら、それがものすごく楽しみで、励みになったと思うんですよ。「今度生まれ変わった時にはきっと幸せになるんだ」と来世に幸福を求めたんです。

上皇さんや貴族さんらも熊野古道を歩いてきて、自分の出世や幸せを願ったし極楽往生も願った。その人たちは満たされておって、なおかつ来世も幸せを求めたんです。でも病人や社会的な弱者など、這いつくばりながら熊野を目指してきた人たちは、この世の幸せなんて願わないですよ。今度行くであろう来世では、せめて幸せになりたいと切実に願ったんです。だからその意味は、大きく違う。

小栗判官蘇生の湯

湯の峯温泉

餓鬼阿弥となった小栗は、ハンセン病患者の姿だとも言われます。大正年間、湯の峯温泉にハンセン病の患者が経営する宿もあったんです。「みどり館」といいました。そこには同じ病を抱えた人たちが湯治にやってきましたが、湯の峯の人らは「みどり館」に遊びに行って病人さんたちとも親しく付合ったそうです。雨が降ったら、みんなで花札や碁をして遊んだそうですよ。

いくつもある小栗街道

熊野古道は小栗さんが通った道やから、小栗街道とも呼ばれる。実はね、小栗街道と呼ばれる道は何本もあるんです。中辺路にも、険しい三日森山(みっかもりやま)を越えてくる裏街道がある。三日森山という名の由来は、小栗さんの土車を地元の人たちが押し上げて、越えるのに三日かかったからだと言われます。裏街道を通ってくるほうが、15キロ近いんです。小栗さんは餓鬼の姿だから人目を避けて裏街道を通ったのか、近いからそちらを通ったのか、それはわかりませんけど。

複数の小栗街道があるのはなぜやろか、と不思議に思いますよね。服部英雄さんという九州大学の先生が「小栗はただ一人ではない。何百年ものあいだ小栗と同じような体の不自由な人々が歩んだ道が小栗街道だ」と定義づけてくれたんです。ぼくはその通りだと思います。病んだ旅人たちが、来世の幸せを願いながら熊野に向かって歩いてきた道が小栗街道と呼ばれるようになった。あちこちに小栗街道があるのは、小栗さんに似たような巡礼者がいつの時代にもいたからだと思います。

小栗さんは庶民の文化

うちの民宿に「小栗屋」と屋号を付けたのは親父ですが、その名にひかれて全国から小栗ファンや、小栗氏ゆかりの人たちが尋ねてきます。全国から愛好者が集まってきたので、平成3年に「をぐりフォーラム」を立ち上げました。それから年に一度は集まって常陸、藤沢、浜松、大垣など小栗さんの伝承のある土地を訪ねるようになったんです。小栗さんは庶民に愛された物語、庶民の文化でしょ。そこが魅力なんですね。

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土車を埋めたと伝わる「車塚」

「をぐりフォーラム」では、ひとつ決まりごとがあるんです。物語をひもといていくと、つじつまの合わんことが色々と出てくるんですが、「それは間違いや」と決して言わない。みんな自分のところの話が正しいと思ってるんだから、そこには触れない。例えば、このあたりでは照手も一緒に熊野まで来たことになってるけど、よその地域の伝承によると照手は途中で帰ってますね。他にも、小栗さんは馬に乗ってきたとか、海でおぼれかけたとか、話にいろいろ尾ひれが付いてる。その土地土地で都合のよいように、物語が仕立てられていくんですね。それがまた、伝承の面白いところです。

物語は人の心を動かす

近頃では「をぐりフォーラム」の会員も高齢化してきて、継続が難しくなってきています。そしてやっぱり、地元に熱がなかったら小栗さんの話も消えていきます。小栗さんはどこの国の人なのか、いつの時代の人なのか、語れる人は少ないです。人々の心が、物語を忘れていくんですね。このままだと湯の峯でも、いつかは小栗さんを忘れてしまうやろうと思う。ぼく以外に、この物語を我が事として残そうと考えている人はいないです。湯の峯だけじゃなくて本宮町全体で守ってもらうようにせな、伝えていくのは難しいでしょう。

昔の人たちは、小栗さんの物語を信じて熊野まで歩いてきたんやとぼくは思う。物語の世界を信じる、素直な気持が大切やと思うんです。その気持があれば、物語は人の心を動かしますよ。

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聞き書き:北浦雅子  撮影協力:佐々木康年さん