① すさみ町周参見を編む

「中村さんは誰が見ても明るくて爽やかでチャーミングよ。でもぼくが撮りたいのは、そこじゃなくて、彼女の奥にありそうな野性的な凄みみたいな魅力」

すさみ町に住む中村千佳子さんを撮影する日、現場に向かう車中で照井さんがそう言った。
照井壮平(てるい・そうへい)さん。紀伊半島をフィールドに、ほぼ20年にわたり熊野や高野山などの写真を撮っているプロカメラマンだ。
「例えて言うならね(照井さんは謎めいた例え話が好き)、小さなウリ坊をいっぱいひき連れて歩いているイノシシのお母さんみたいな。そんな感じの中村さん」
「それでいきましょう!」と私は即答し、やや興奮してぎゅっとハンドルを握った。

コトここに至る経緯を簡単に書くとこうだ。
発端は「みちとおと」のサイトを制作したウェブデザイナー、硲勇(はざま・いさむ)さんから届いた一通のメールである。
「本のデザインをやってみたいので熊野の本を作りたい。北浦さん、ご興味ありませんか」

興味があるもないも、私だって心の底から熊野の本を作りたい。
「ご興味あるに決まっているじゃないですか」と入れ食いで返信し、彼の帰省に合わせて打ち合わせを重ねること数回。(硲さんは「みちとおと」のサイト完成直後に東京に移住し、現在も東京に暮らしている)資金は乏しいが、何はともあれ制作・出版しようと決めた。その企画でタッグを組んでくれることになったのが、写真家の照井さんである。デザイン、写真、編集を担当する3人が集まり、今まさにプロジェクトが走り始めたところだ。

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すさみインターで高速を降り、国道42号線を走って周参見(すさみ)の海に到着した。ここで、その、中村千佳子さんと合流。久しぶりに会った中村さんはすっぴんのニコニコ顔で、くりっとした目が奈良公園の鹿みたいで可愛い。

私は彼女にぜひとも被写体になってもらいたかった。なので事情を話してお願いしたのだが、まだ固まり切っていない企画にもかかわらず「いいですよ」と快諾してくださったのだ。

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中村千佳子さんは、ナガレコ(トコブシのこと)やアワビの漁をする海女(あま)である。

「この仕事を始めた7年前は2番目の子がまだ赤ちゃんやったから、海にもぐる時はダンナに子守を頼んでたん。3番目が生まれた時も、授乳の合間にもぐってた。とった貝を市場に売りに行く時は、貝カゴを片手に赤ちゃん背負って行ったから、『お前、そんなカッコで海にもぐってたんか』って市場のみんなに笑われてん。その格好が面白かったから、ここらで有名になったみたい」

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青々と広がる海を背景に、中村さんはあっけらかんとそう話す。
波しぶきを浴びる彼女をカメラが追いかける。ザワザワワンという波の音に、中村さんのハツラツとした笑い声と、照井さんの「いいね〜」という掛け声が重なる。私は磯に足を取られながら(片足がはまった)、子どもを背負って貝を売りに行く彼女の姿を想像していた。照井さんの狙いと例え話は、いいところを突いている。

撮影の合間をみながら、インタビューを試みた。なぜ海女の仕事を?

「他のアルバイトもしてるけど、漁期の間は海女を優先してる。あいた時間に一人で自由にできるから、子育てと両立しやすいやん。ナガレコは市場に持っていけば1キロ2500円ぐらいになる。1キロなら1時間ぐらいでとれるしね。パートに行くより稼げるでしょう。これまでの最高は“貝の口開け”(貝漁の解禁日)にとった16キロ。口開けの日は短時間でたくさんとれるわ」

なんてカッコいいんだ中村さん!

「貝をとった後を掃除にやってくる魚もいるんです。うかうかしているとわたしの獲物をチヌやコロダイに先に持っていかれる事もあって楽しい。自然の中で母なる海にもぐっていると、陸でおこる出来事なんてどーでもよくなります(笑)。海は素晴らしいですよ」

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実は少し前、「熊野は縄文の文化です」と串本町在住の赤井熊五郎氏(中村さんの御父上)に私は教わっていた。それ以来、「縄文」というキーワードが頭の中でわさわさしているのだが、狩猟採集で生きてきた熊野の民の遺伝子を、ここであらためて見た思い。

「わたしなんかまだペーペーやけどよ、名人やったら30キロぐらいとりやるで」

奈良公園の鹿なのか、ウリ坊のお母さんなのか、もうよくわからないが、女はこのぐらい謎めいているほうが素敵だ。

 

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撮影を終え、和歌山市内で仕事をしていた硲さんを乗せて照井さんのスタジオに行く。(硲さんはお盆で和歌山に帰省中)おみやげに分けていただいたナガレコは、照井さんの手で見事な料理になった。
潮の香りと野生の味を楽しみながら、なんとも贅沢な編集会議。「狙っていた写真が撮れた」と照井さんも満足顏だ。(中村さん、ありがとうございました!)ちなみに、私たちが作る本は、熊野地方の写真集になる予定である。

取材途中に立ち寄ったお店】

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クラブノアすさみ
すさみ町周参見のダイビングショップ。すぐそばのビーチダイビングスポットに「世界一深いところにあるポスト」が設置されています(ギネスに認定されている海中ポストですね)。ダイバーが海中ポストからハガキを出すには、耐水合成紙で作られた海中郵便ポスト専用はがきをクラブノアすさみで購入します。切手代込み1枚200円で、本当に届きます。ダイビング未経験者のための体験コースもあるので、透明度抜群の”すさみブルー”に全身まみれてみてはどうですか。クラブノアすさみのサイトはこちらです。

【付記】
*貝漁には漁業権が必要です。
*この記事に使った写真は北浦が撮影したものです。
*本が出来るまで取材記事を連載していく予定です。みちとおとFacebookページで更新のお知らせをいたします。引き続きお付き合いいただけたら幸いです。

投稿日:2016年8月16日
カテゴリー:みちとおと取材記熊野を編む
文:北浦雅子