2013年6月23日

本宮町大瀬〈6〉三体月の伝説

里のみち

熊野の道は里を結びながら、山中を迷路のようにめぐっています。古老たちの語りや歌、伝説に導かれながら行く里の道。訪ねたのは大瀬(おおぜ)・高原(たかはら)の集落と、兵生(ひょうぜ)の廃村です。

三体月(さんたいづき)の伝承は、熊野地方一帯に見られる。
「どこからか現れた山伏が、三体の月から法力を得た」という話もあれば、「三体の月となった熊野権現が、大斎原のイチイの木に降臨した」という話も。イチイの木に宿った三体の月を見つけたのは、大イノシシを追いかけてきた猟師、山の民だった。

本宮町大瀬も、三体月の伝説が色濃く残る地域である。
先日、大瀬に取材で伺った時、前久保國一著『古里の記』の増補版となる冊子をいただいたのだが、その中に三体月についても記されていた。

昔より、大瀬地区の平(旧集落のある地域)という字名の周辺で、旧暦一一月二三日に、月が三体となって出るという言い伝えが今も残っている。母親がこの三体 月を見たということを話してくれた。わたくしが生まれたのが、この平の地名の所である。馬頭観音さんより下手、約二〇〇メートルくらい横辺りである。今で はこの屋敷跡は杉山に変わり生い茂っている。国道より約三〇〇メートルくらいの上方に位置する所で、東の方が新宮方面である。ここから見る遠くの山並みは、高く幾層にも重なって見える。朝日が顔を出すと、天井まで照らすというくらい高いところだ。

ある年の夜中のこと。話してくれた母が三人 目の子を産んで、その子が間なしに他界して、まだ産後日も浅い頃だった。その夜半、小用に出て土門の障子を外したら、東の空にこうこうと照る三体月が山の 頂上より登り始めていた。これがこの辺で言い伝えの三体月、熊野本宮大社の大斎原のイチイ樫の梢に三体月となって下る熊野権現、正しくは神か。母は驚いて 戸を閉めて中に入って目を閉じた。まだ自分の身が産後汚れていたからだった。なぜならば、この三体月は昔よりの言い伝えに熊野権現さんが三体の月に乗って 舞い下りてくるので、見るものではない。まして母は書いたとおりの産後である。

母が見たのは、確か明治三五、六年のことではないかと思う。そしてこの三体月を見ると良くないとの言い伝えがあるので見ることにはせなんだというわけである。

『熊野・大瀬 古里の記』前久保國一著(2000年7月1日 泉南歴史民俗資料発行)より

大瀬の馬頭観音さんでも毎年、三体月の観月会が開かれている。22時頃に山を登り、お雑煮を食べながら月の出を待つそうだ。
ちなみに私も、三体月を見たという方の話を聞いたことがある。10年ぐらい前に、熊野の山奥で土地の方から……。
熊野なら、そういうこともあるかもしれない。

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文:北浦雅子