古座街道(2)植林の泣く声

山中を抜けてゆく古座街道は、尾根道を越えて下りにさしかかる。下り道もたいして急ではないし、大辺路刈り開き隊(地域のボランティア団体)の皆さんが歩きやすく整備してくれているので安心だ。

ちなみにこの古座街道、主要な生活道として利用されてきたのは明治の中頃まで。その後は忘れ去られて地図からも消え、道も荒れ果て埋もれていたそうだ。大辺路刈り開き隊・隊員の方々は手に手にカマやノコギリを持ち、その名の通り古座街道を刈り開いて発掘。現在も引き続き保全に尽力してくださっている。

大きな岩にめり込むように祀られた石仏は、役行者像である。足元には二体の鬼、前鬼と後鬼の姿も見える。

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さらに進むと「行者の墓」と言われる安政2年の石仏もあり、そこから先が個人的にはクライマックス。苔むした石畳が、ふかふかのピカピカなのだ! 私の写真では伝えきれないのだけれど、森の中で深緑色の光を放つ光景が素晴らしい。忘れ去られ、埋もれていた道だから人の往来もなく、苔が育ち放題な数十年だったのだろう。「イノシシが掘り返して荒れているので整備が必要」とガイドブックには書かれていたけれど、それでもじゅうぶんに神秘的だ。
途中から、石畳が巨大な抹茶わらび餅に見えて頭がクラクラする。(ファンタジックな道なので、妄想にまみれながら歩くのがよろしい)

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水の音が大きくなってきた頃、左手に「なめとこの滝」が現れる。 前回歩いた時より、水量は少なかったが、清浄感たっぷり。

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さらに下ると、不意に現れる廃屋にぎょっとする。福井谷の集落跡だ。福井谷には5軒の家があったそうだが、現在残るのはこの家のみ。昭和40年代まで人が住んでおられたという。

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立派な石垣や門の跡、地主神を祀った小さな祠、朽ちていく鎮守の森、墓石、水田の跡などが残る。人々が立ち退いた跡地には杉や檜が植えられ、今はうっそうとした植林の森と化している。

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植林の隙間にごろんと転がっているのは五右衛門風呂の釜。

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内側に刻まれた星印が、何を意味するかは謎である。

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再び歩き始めると、頭上から大きな音が聴こえた。
「ああ、これか」と理解して、森を見上げる。一度聞いてみたいと思っていた、例の音。『古里の記』という冊子で、熊野の前久保國一さんが書かれていた「植林たちの悲鳴」とは、こういう音ではなかったか。(『古里の記』に導かれて取材した記事は、”里のみち・落人の里の物語”にあります)

念のためにと思ってリュックに入れておいたレコーダーを取り出し、スイッチを入れた。

前久保さんの文章を以下に引用するので、よかったら音を聴きながら読んでみてください。
(ギィーという大きな音が木。遠くから聞こえるチェーンソーの音、途中から飛行機の音なども小さく入っています)

木は今にも泣きそうに悲鳴を上げているかのように見える。二、三十年も手入れをせず、雑木とかずらに絡まれて、間引きもせず、細い植林は枯れ死している。今日までこの木材により伐採、出材、また植林を繰り返し、手入れをさせてもらうことによって、山の生活が営まれてきた。こうした植林、手入れによって生活してきた者には、我が子同様の立木のはずなのだが、時代とはいえ残念に思う。

わたくしは山歩きが好きで山中に入ったら、木に巻き込んだかずらを切ってやる。ごっと音を立てて喜ぶ木の音が聞こえる。(中略)枝打ちなどして木と木の間を透かしてあれば風も通り抜けていくが、枝打ちをしないで密集した枝は風が抜けず、強風に耐え切れず、一本倒れると隣の木にもたれかかり、その重みで次から次へと倒れていく。手入れ不足の山林ほど被害が多い。台風の被害で他の木に倒れかかった木が無数にあり、隣の木とすれあって不気味な悲鳴を上げる。

昔の人は、木と木のこすり合いを「山の神様が嫌う」と言った。ただ一人山林に入り風の吹くたびに、ゴソゴソとかキュウキュウとか何とも言えない淋しい音が聞こえる。もたれかかられた木は、倒れかかった木を早く取り除いてくれと叫んでいるにちがいない。山の神様は、夜もろくに寝ることができないだろうと思う。太い声、また細い声。山に住む人でなければこの声は聞くことはできない。一人淋しく山中におれば、だれか来て話しているようにも聞こえる。

『熊野・大瀬 古里の記』(増補版)前久保國一著 2000年 泉南歴史民俗資料 発行より

「病める山林について」という章に記されているのは、放置された植林に心を痛めている古老の切実な想いだ。山主の皆さんは一刻も早く山に来て、山林を歩いて自分の目で確かめてほしい、そして病に冒されている山林をわが子同様にかわいがって美林にして欲しいと切々と訴えかけている。章の終わりは、こんな言葉で締めくくられていた。

まだまだ書き足りないことがありますが、このへんで病める木に変わり、山主さんにお願いして、ペンを置きます。

病める木に変わりーー
木と自分を同一化させるような感覚を、熊野の山の民は持っていたのだと思う。
「山に住む人でなければ、この声は聴くことができない」と前久保さんは書いておられるが、その気になれば聴けると私は思う。その気に・・・その木に、かな。

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《続編 古座街道(3)はこちら》

投稿日:2016年4月23日
カテゴリー:みちとおと取材記
文:北浦雅子