タグ別アーカイブ: 盆踊り

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中辺路町高原〈6〉天空の盆踊り

盆踊りの日、高原に早く到着したので、日没の景色をたっぷり楽しめました。雲海というほどではないかもしれませんが、うっすらと霧も出て山々を覆っていました。ちらほらと集まってきた人々は「久しぶりやねぇ、何年ぶりやろ?」と親しげに言葉を交わしていました。普段は高原にいない方々も、お盆なので帰省されているようでした。

里のみち 天空の里の物語 中辺路町高原〈6〉

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伏拝の盆踊り

8月14日の夜、伏拝(ふしおがみ)地区の盆踊りにも少しだけ立ち寄れた。今年の春に熊野古道を歩いた時、伏拝茶屋で地元の女性たちに勧めてもらった盆踊り。松本さんたち、集まっておられるだろうか。(昭和52年の記録だが、伏拝地区は100軒のうち松本姓が48軒、榎本姓が22軒だったという)

熊野本宮大社から車で少し山を登っていくと、棚田や茶畑が広がっている。何度来ても、のどかでいいところ。

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盆踊り会場の公民館を確認しておこうと、集落の細い道をうろうろ。たどり着いた公民館の庭には、あめ玉みたいな提灯がぶらさがっていた。

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下の写真は、会場となる公民館を少し上の道から撮影したもの。場所をチェックできたので、我々はひとまず退散。

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夜9時頃、前をゆく鹿の親子三頭連れをよけながら、再び山道をのぼっていく。会場に着くと提灯にぼんやりと灯りがともり、賑やかな声があたりに響いていた。
びっくりしたのが子どもの多さ! 伏拝にはもう子どもはいないはずなのに、降って湧いたようにわらわらと。聞けば、まちから帰省してきた人のお子たちだとか。
夏休みに、こんなに風情のある山里で盆踊りができる子どもは幸福だなぁ。井上陽水の「少年時代」がうっとりと頭をめぐったが、「イヤ、ドッコイショ」の声にすぐかき消された。

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音頭取りは、伏拝盆踊り保存会会長の松本喜代志さん、85歳。この曲は「五尺いよこ」という曲の終り部分だ。いよこ、とは手ぬぐいやタスキのことらしく、棒を持って踊る。「そこじゃい」という合いの手が絶妙で、いつまでも耳残り…。(そこじゃい)

音頭取りの松本喜代志さん

音頭取りの松本喜代志さん

アーイヨオコノナー アーナニガサテーノー
橋のいよこの下なる (そこじゃい)
橋の下なる いや鵜の鳥は
アーイヨオコノナー アーナニガサテーノー
鮎をいよこのくわえて (そこじゃい)
鮎をくわえて いや瀬をのぼる
アーイヨオコノナー アーナニガサテーノー

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伏拝の盆踊りには道具を使わない手踊り、日の丸扇子を使う扇踊り、棒を使うホロ踊りがあり、起源は江戸時代の中頃だという。
松本さんに「後継者はおられますか」と尋ねると「今は奈良に住んでいる人が今年から練習してくれてます。23日の地蔵盆にも練習に帰って来てくれるって言うんで楽しみにしてるんです」と、とっても嬉しそう。味わい深い古老の歌声に合わせて、笑いながら踊る人々。こんな夜が日本にまだあることが、しみじみ嬉しくなるような。

伏拝を歩いた時の記事はこちら

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本宮町大瀬〈6〉三体月の伝説

熊野地方一帯にみられる三体月の伝説について、前久保國一さんが書いておられたので「古里の記」から引用させてもらいました。前久保さんのお母さんが、平(たいら)という集落から三体月を見たそうです。平の集落も今はなく、植林が空を塞いでいます。かつては夜明けが早くて、見晴らしもよい所だったそうです。

里のみち 落人の里の物語 本宮町大瀬〈6〉

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本宮町大瀬〈4〉古老との出会い

大瀬の公民館で、地元の女性たちと、大瀬出身の男性たちにお会いして話を伺うことができました。男性たちは、前久保國一さんの甥にあたる方々です。私たちがびっくりするような意外な話がたくさん。帰宅後、録音してきた会話をテープ起こししていたら「へぇ〜」と間抜けな相づちを連発する自分の声が耳障りでした。

里のみち 落人の里の物語 本宮町大瀬〈4〉

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幽鬼伝

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中辺路在住の作家、宇江敏勝さんの小説『幽鬼伝』を読んだ。
全9編からなる短編集で、読みだしたら止まらなくなって一気に。

少し前の古道歩きで通り過ぎた、道湯川や道ノ川を舞台とした作品がとりわけ印象深かった。
道湯川が舞台となっているのは「権七太鼓の夜」という短編で、盆踊りの様子も鮮やかに描かれている。

昭和30年頃、道湯川から人々が去りはじめ、廃村が決まった頃のこと。最後の盆踊りの夜、闇の隙間から太鼓打ちの名人だった権七の亡霊が現れる。ラストシーンはまるで映像のように目に浮かび、踊りに興じる村人たちの地面を蹴る音や掛け声、跳ね回る太鼓の音まで聴こえるようだった。

道ノ川を舞台にしたのは「残された心」という短編で、主人公は道湯川に家を借りて山仕事をしている青年。峠を越えて、道ノ川の病弱な女性のもとへ夜這いに行くところから物語は始まる。
二人の恋は淡すぎて実るまでもなく、青年は故郷を出て都会に働きに行く。女性の心にかすかな灯りをともしたままで。
数十年後、初老となったかつての青年が道ノ川を訪れてみると、集落はすでに廃墟…。
その時ふと、女性が亡霊となって現れるのだ。

興味をひかれたのは道ノ川の廃屋の描写である。宇江さんは、この家を取材して書いたのではないかと。現地で私が見たような一升瓶も出てきたし。

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小説の中で「せめて集落があったことぐらいは、板に書いて立てるべきだ」と、主人公の気持として書かれているが、私も願う。せめて熊野古道沿いの廃村には案内板があってほしい。古道歩きの人たちが、何も気づかず行き過ぎるのはあまりに切ないので。

他にも、富山の薬売りと炭焼きの老夫婦の話「おきぐすり」などもよかったけれど、心ひかれたのは「松若」。中辺路に伝わる民話を元に書かれた短編で、私はずっと、この民話が気になっていたのだ。

どういう民話かというと…。

松若は、はるか昔に兵生(ひょうぜ)という山里に生まれた男の子。
生まれた時から体が大きくて大喰らい。
家にいたら家族の分まで食べてしまうので、いつしか安堵山の奥に隠れて暮らすようになった。
山を駆け回り、獣や鳥をとって食べるうちに、やがて不老不死となる。
その松若がときおり、塩をもらいに里にやってくる。
快く塩を分けてくれる里人に感謝して、「なんど困ったことがあったら、わしの名をおがれ(叫べ)」と松若は言う。

「兵生の松若」には、いろいろな類型があるのだが、山で暮らしている大男が塩をもらいにくるところは共通している。資料によると、滝沢馬琴も『玄同方言』の中で、熊野の異人話として記しているそうだ。

十津川の樵夫(きこり)らが木を伐っているところへ、ある日羅刹のようなみなりの者がやってきた。髪はぼうぼうにのばし、腹にはけだものの皮をまとっている。斧を持って構えていると、男は「怪しいものではない。私も人間だ。塩を貰いにきた」と言うので、樵夫らもやっと心を落ちつけ、「塩はやるが、その塩を何に使うのか。お前はいったい何者か」と尋ねると、「私はもともと熊野の山里の者だ。十八の時、両親や親類のものが皆死に果てたので、山の中で生活している。鳥や獣を捕って命をつないでいるが、ときどき塩気のものを取らなければ生きていけない。そのため、山仕事をしている人を見つけては、こうして塩を頼むのだ」と答える。

それで、持ち合わせの塩を二合ほど紙に包んでやると、喜んで礼を言うので、「その塩でどれくらいもつのか」と重ねて尋ねると、四、五十年はもつという。それで「お前はいつの時代に山に入ったのか」と聞けば、「年号ははっきりしないが、嘉永(一四四一~一四四四)とか文安(一四四四~一四四九)とかいっていた」と言い捨てて、そのまま奥山へ消えていったーーという。(『熊野中辺路 歴史と風土』より)

滝沢馬琴は、「羅刹のようなみなりの者」の名を書いていないようだが、この男もまた松若だろう。きびしい山里の暮らしに耐えてきた人々は、深い山の奥で孤独に生きている人間を想像し、ふと心を寄せることがあるのかもしれない。たぶん、宇江さんも。
数百年の間、松若の名を語り継いできた里の人たちも去り、兵生も今は廃墟となっているそうだ。